** 新・コバッチョ日記+++☆啄木と龍馬
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啄木と龍馬
先だっての日曜日、
ちょい下見で桂浜の坂本龍馬記念館に行ってきました。
竜馬はんにはあまり興味はないのですが、
まあ、せっかく来たのだからと入ってみました。
龍馬さんってやけに肩幅が広かったんですね。
それにすごいなで肩だし。
桂浜の銅像では下からみてるせいか分かりませんでした。

ryouma.jpg

綱を避けるため、ちょい上から撮ってるせいもあるかもしれませんが
隣においでる啄木さんと比べると一目瞭然です。

takuboku.jpg


で、啄木と龍馬展みたいなのをしてまして、
啄木と龍馬は共通項があるんだゾ~って強調してました。
どこが共通するのかすっかり忘れてしまいましたが・・・。

僕は啄木さん好きですよ。
以下好きな歌ベスト3です


己(おの)が名をほのかに呼びて 
涙せし 
十四の春にかへる術(すべ)なし

教室の窓より遁(に)げて 
ただ一人 
かの城址(しろあと)に寝に行(ゆ)きしかな

不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 
空に吸はれし 
十五の心


盛岡の、青春時代を詠んだ歌ですが
特に「己が名を・・・」が好きですね。

で、映画「時代屋の女房」で、
渡瀬恒彦が「教室の・・・」と歌ったあとで、
「不来方の・・・」と返す夏目雅子を見、
一発でファンになってしまいました
関係ないですが・・・

なぜ啄木なのか?と思ったんですが、
有名な歌集である「一握の砂」出版100周年だからだと思います。
そのへんの説明書きは読んでません。

100年前といえば1910年です。
ハレー彗星がやって来た年でもあるんですが
1910年といえば日韓併合の年です。
1910年8月22日、朝鮮が日本の植民地になった年です。
その時、啄木はこういった歌を詠んでます。

地図の上 朝鮮国に くろぐろと 
墨を塗りつつ 
秋風を聴く


そのころ日本軍は制圧したところを赤で塗りつぶし、
その印としていたようですが何故「黒」なのか?
葬式の「黒」ですね。
抑圧される側に身をおいていた啄木には
民衆の悲鳴が聴こえていたのでしょう。

今では有名なこの短歌、一握の砂には収録されてません。
死後に出された「悲しき玩具」にも未収録です。
「一握の砂」の発行は1910年12月1日ですから
十分間に合ったはずです。

では、なぜ?
「赤々」とするべきところを「くろぐろ」としたこの歌は
痛烈な軍部批判ですので、
載せてしまえば発禁を喰らうおそれがあったからです。
発禁を恐れて文学ができるかと、最後まで悩んだようですが、
どうしても詩集を出したかった。
いつ死んでもおかしくないほど病弱だったし、
生活も逼迫し、お金も必要だったことと思います。
生きてた証としても、
生活の糧としても詩集を出版したかった。
ですからこの歌が一般に知られるようになったのは戦後ですね。

でも、この歌が北海道の炭鉱の宿舎の壁に書かれていたそうです。
朝鮮から強制連行してきた労働者を働かせていた炭鉱ですね。
前述のごとく日本でも知られていないこの歌を、
朝鮮人労働者が何故知っていたのか?
かなりの知識人まで強制連行して来ていたのではないか?

というのが石川啄木研究家の碓田のぼるさんの考察です。
これもあまり知られていませんが・・・w




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